プロフィール

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はじめまして、TOEICコーチのJunです。

日本の高校を卒業後、アメリカ、ニューヨーク州の語学学校で、英語を半年間勉強し、その後、ワシントン州、シアトルに移り、Community Collegeを卒業。

日本に戻ってからは、財団法人で、アメリカ人研究者のアシスタントの仕事をした後、現在は、英語コーチングを使いながら、TOEICを教えています。

ノーリミッツコーチング協会認定英語コーチ
サイタ TOEIC®テスト対策コーチ
広島在住

【特技・資格】
・TOEIC®L&R 900点
・ノーリミッツコーチング協会認定英語コーチ取得
・【早川幸治先生】TOEIC指導の技術伝授セミナー修了
・フランス語検定 準2級 取得

「どうして、私が、TOEICコーチになったのか?」私の生い立ちと一緒に、説明したいと思います♪

私に影響を与えた、2人の人物 

私は、縁結びで、有名な出雲大社のある、島根県で、少し変わった父親のもとに生まれました。

というのも、私の父は、家庭の事情で、ほとんど教育を受けれなかったのに、アイディアと感(野生の?)だけで、経営者まで上り詰めた苦労人で、そんな父の家訓は、

「人と同じことをするな!」

でした。

こんな父の教えと、もともとの私の性格が、目立ちたがり屋だったこともあり、子供の頃の私は、常に「何か変わったことをやってやろう」精神の強い、我が道をゆく子でした。

父以外にも、小学校のときに、今の私を作ったもう一人の出会いがあります。

それは、小学生の5~6年の時の担任のS先生です。

今思うと、とても変わった先生で(いい意味で)、学校では「決められた規則」や、「規則ではないけど、暗黙のルール」ってありますよね、これを鵜呑みにして、従うのを良しとしないんです。

ルール鵜呑みにする前に、「それが良いか悪いか、まず一人一人で考え、その後、みんなで、意見を出しあい、話し合って決めなさい」というのが先生の考えで・・

なので、当時は、私のクラス特有のルールが沢山あり、例えば、他のクラスは、学級委員は、男子で、副委員は、女子と決まっていたのですが、「男女で差別するのは、おかしい」ということで、うちのクラスでは、学級委員が女子で、副委員が男子だったりするんです。

S先生のもと、私のクラスは、やたら学級会が多く、放課後はいつも「朝まで生テレビ状態でした」(笑)

テーブルを囲んでいる人達

私自身は、S先生の考え方が、自分の性格とあっていたのか、議論という形で、友達と本音で、意見を言い合えるのが楽しくて、今思うとその頃が一番幸せだった気がします。

協調性のない自分に気づいた中学生時代

そんな、楽しい小学校時代を過ごしたのですが、最初に違和感を感じたのは、中学1年生の頃です。

私の通っていた中学校は、部活動以外に、週に一度、クラブ活動というのがあり、スポーツや手芸・料理などの沢山のクラブから自分の希望のクラブを選び、学年やクラスの垣根をはずして、一緒に、クラブ活動を楽しむんです。

私は、小学校の時の先生が作った、レザークラフトの作品が好きだったので、迷わずレザークラフトクラブを選びました。

そして、クラブの初日に、張り切って教室に向かうと、私は、重大な過ちを起こしたことに気がついたんです。

というのが、教室を見渡すと、私以外は、全部グループが出来ていて。

耳を抑えて、叫んでいる人

つまり、女子のほとんどは、まず、どのクラブに入るかを友達と相談して、それで、そのグループでクラブに入っていたんですね。

既に、出来ているグループに入ることもできず、1年間、寂しくクラブ活動を過ごし、そのとき初めて、「協調性」という概念がない自分に気が付きました。そして、周りの人に合わせないと、つらい思いをすることにも( ;∀;)

それでも、中学の頃は、入学試験のない公立の中学だったので、生徒もやんちゃな人、お笑い系、大人しい系と色々なタイプの人がいて、こんな協調性のない私でも、自分と似たタイプのグループを見つけたり、ときには、いくつかのグループを渡り歩いたりして、普通の学生生活を送っていました。

そして、そのあと、私の人生の中で、最悪な3年間が始まるのです。

悪夢の高校3年間

協調性はなくても、周りの空気を読む能力はあったので、高校生活も中学の時と同じように、それなりに、楽しい学生生活が送れると思っていたのですが、それは、違っていました。

というのも、高校は、公立の進学校に入ったので、中学校のときのような、個性的な人はいなく、その上、田舎だったので、考え方もかなり保守的で仲間意識も強い。

そして、ある程度勉強ができる人が多かったので、ライバル意識も強くて。

争っている2匹の熊

一人で、寂しい高校生活送らないために、私が学んだのは、こちらです。

・クラスの中には、いくつかのグループがあるので、その中の一つに所属すること
・色々なグループを渡り歩くのは、アウトです
・そして、いつもグループで行動すること(もちろん、トイレや休みの日も)

・影で、足を引っ張られるので、あまり目立たないこと

「トイレぐらい、一人で行ったら」と心で思っていても、口にしたらアウトです。

高校3年間は、周りの友達を観察しながら、みんなと歩調を合わせることだけに、注意して過ごしていました。

父の教えであった、「人と同じことをするな」と、S先生の教えであった「ルールを鵜呑みにするな」とは、まさに、正反対の毎日です。

おかげで、いじめられることも、一人ぼっちになることもなかったのですが、そんな状態では、うわべだけの友達しかできず、日々ストレスが溜まっていく一方。

うなだれる少女

そのうえ、私の父は、「子供のときから世間を知っておいたほうがいい」という、変わった方針だったので、父には、子供の頃からいわゆる「大人の話」をよく聞かされていました。

例えば、やさしいおじさんだった○○さんが、事業に失敗して、友達を連帯保証人して、逃げた話とか。ほとんどがビジネス絡みの騙し、騙された話ばかりです。

そこで、父のもう一つの家訓が、

「人を信用するな。特に友達は、絶対信用するな!!」

です(;^_^A

そうやって、学校では、個性を必死に隠してみんなに合わせ、家では、人間のブラックな部分をすりこまれ、私は日々、ボロボロになっていきました。

最近になって知ったのですが、「人は、偽りの自分を演じ続けると、メンタルが崩壊するらしいんです」。

当時の私も何が本当の自分かわからず、かつ、うわべだけで、信用できる友達もいなくて、人間不信、まさにうつ状態でした。

このままでは、もう駄目になると思い。「自分を知っている人が誰もいないところで、全てをリセットしたい。」と思って、ひらめいたのが、留学でした。

「水を得た魚」の留学時代

藁をもつかむ思いで、行ったアメリカ行きの決断は、私の中では、幸いなことに「吉」とでました。

今思っても、あのときに、あのまま日本に、それも地元に残っていたらどうなっていたかと思うとゾッとします。

アメリカ留学は、言葉の問題、ホストファミリーと喧嘩をして家を出たりと、楽しいことばかりではなかったけど、協調性のない私にとっては、天国でした。

まず、誰も他人のことなど気にしてないので、一人で行動していても変な目で見られることはありません。学校でもグループでつるむ必要もないし、固定した友達意外と遊んで、陰口を叩かれることもない。

特別に仲良くなった友達もいましたが、お互いにその日の気分で、一緒にいたり、別々の友達といたりと、日本にいたときは、考えられない自由な日々に、「文化が変わるとこんなに違うんだ」と驚きました。

その後、シアトルに移り、アメリカのコミュニティカレッジ(日本でいう短大)に行き、卒業前に、私は、重大な決断にせまられます。

それは、学生時代から付き合っていた彼氏(今の夫)と、遠距離恋愛(日本とアメリカ)をしていて、彼とだめになるというリスクは高いが、アメリカの4年制の大学に編入するか、日本に戻って、彼との将来を考えるかという選択です。

彼とは、高校3年生の私が一番つらい時期に出会い、その頃から唯一、私を理解してくれた人だったので、私は後ろ髪をひかれる思いでしたが、「日本に戻る」という決断をしました。

広島で悪夢再び

アメリカでの生活で、すっかり立ち直った私は、日本に戻り、彼のいる広島に。

就職先も希望したところに、トントン拍子で決まり、新しい生活に胸をワクワクさせた私に、悪夢のような現実が待っていたんです。

驚いている女性のアップ

今度は、人生で、初めての一方的ないじめにあうことになるんです(;^_^A

私の就職した会社は、監査法人といって、社員のほとんどが、公認会計士の資格を持った人で、構成されています。

私が務めた会社も、私ともう一人の女性「Oさん」以外は、公認会計士だったので、社員の方は、他の会社を監査するために、日中は、ほとんど外出されていました。

そして、他の社員が外出し、Oさんと2人になると、彼女の態度が一変するんです。

まず、一言も口を聞いてくれなくなります。ただ、それぐらいなら、無視していればいいのですが、その上、仕事も教えてくれないし、出先からかかってきた他の社員の伝達事項も伝えてくれない。

仕方がないので、自己流で仕事をすると、当然ミスがでてきて、ミスをするとOさんは、「待っていました」とばかりに、上司に、私のミスを告げ口するんです。

まさに、昔の学園ドラマに出てくるような、わかりやすいいじめに、高校のときの悪夢が再びです。

あとから、知ったのですが、私の前に、やめた方も、表向きは寿退社でしたが、実際は、彼女の嫌がらせが原因でやめたとのこと。

今の私なら、すぐ上司に相談するのですが、その頃は、職場で、学生のような揉め事を騒ぎ立てるのも、なんだか恥ずかしい気がして、ずっと耐えていました。

そのうえ、広島には、越してきたばかりで、友達もいなくて、頼みの綱の彼も、仕事が忙しく、「昼間は、会社で、Oさんと二人っきりで、家に帰ると、一人でいる」という日々が続きました。

メンタル的に限界だったのか、ある日、仕事の帰り道、家の近くにあった、「踏切をぼっと見つめている自分」に気づき、その日、会社を辞めることを決意したんです。

走っている電車

内面を見つめ直す日々

その後、なんとか会社を辞めることはできましたが、もともと不安傾向が強く、学生時代の対人恐怖症もぶり返してきて、なかなか立ち直ることはできませんでした。

しかも、今回は、環境を変えてリセットすることもできないんです。

「環境を変えれないなら、自分を変えるしかない」と思い、始めたのが、心理学の勉強です。

心理学を勉強していくと、「周りの環境よりも、自分の中の思い込みが自分を不幸にしていること」に気づき、前の職場で傷ついた心も徐々に、癒されてきました。

しかめっ面のボールと笑顔のボール

そして、もともとやり始めたら、のめり込むたちなので、「職場でカウンセリングを行い、働く人々を支援する」産業カウンセラーという資格もとりました。

そして、このとき勉強したことが、今のTOEICコーチングにも役立っているので、スティーブ・ジョブズの有名なスピーチにあるとおり、点と点は、あとでつなぎ合わせることができるんですね。

スティーブ・ジョブズ

仕事への復帰

最初の職場での恐怖心から、しばらくは、短期のアルバイトを繰り返していたのですが、心理学を勉強したことで、メンタルも安定してきて、再び仕事を探し、見つけたのが、アメリカ人研究者のアシスタントとしての仕事でした。

その職場での、私の上司は、アメリカ人研究者のAさん(女性)で、古い資料を複製する専門家です。

日本語が片言しか話せないので、私の仕事は、彼女の仕事の補助や、社内の日本人社員との簡単な通訳をしたりすることでした。

ということで、職場では、Aさんと二人っきりで仕事をすることがほとんどだったのですが、Aさんは、 旅行と料理が大好きなとても明るい方で、 仕事の合間に、よく自分が行った海外旅行の楽しい話をしてくれました。

そして、私の誕生日には、手作りのケーキを焼いてくれたり・・・

誕生日ケーキのアップ

会話もほぼ英語だったので、私は、広島にいながら、またアメリカに戻れたような気分で働けました。

最終的には、Aさんが、アメリカに戻ることになり、アシスタントの仕事は終わりましたが、このAさんと働いた経験が、Oさんとの悪夢を塗り替えてくれたんです。

TOEICコーチとしての現在

その後も、花屋、ハーブショップや通訳・翻訳の会社など、色々な会社で、働いたのですが、結局、協調性のない私には、組織で働くことが窮屈で、最終的にたどりついたのが、今のTOEICコーチという仕事です。

こうやって、振り返ると、私の人生がどん底の時、それを変えるきっかけをくれたのが、外国や語学でした。

外国に行ったことで、自分の狭い価値観を変えることができたし、英語が話せたからこそ、広島にいながら、Aさんのような素敵な人と働くことができたんです。

そして、協調性のない私でも、TOEICという武器があるので、会社という組織に属さなくても、TOEICコーチとして、働くことができています。

今、もしあなたが私のように「人生のどん底」や「人生の岐路」に立たされているなら、もしかしたら、英語やTOEICを学ぶことが、あなたの人生を変えてくれるかもしれません。

岐路に立っている女性

そして、そんなお手伝いができたらいいと思います(^_-)-☆

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